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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)14551号 判決 1970年6月16日

原告 豊島純一

右訴訟代理人弁護士 芦苅直己

同 久保恭孝

被告 長谷川清七郎

右訴訟代理人弁護士 青木平三郎

主文

1  被告は原告に対し、別紙物件目録第一記載の土地を引渡せ。

2  被告は原告に対し、別紙物件目録第一記載の土地につき昭和四三年三月二二日の交換に基づく所有権移転登記手続をせよ。

3  被告は原告に対し、金二五〇万円及びこれに対する昭和四三年一〇月一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  この判決の第一項及び第三項は仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

主文第一、二、三項と同旨の判決及び第一、三項につき仮執行の宣言。

(被告)

一、原告の請求はいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の請求原因

一、昭和四三年三月二二日被告と原告の代理人である訴外矢達慶一との間に、被告所有で登記簿上被告所有名義となっている別紙物件目録第一記載の土地(以下第一の土地という。)と原告所有の別紙物件目録第二記載の土地(以下第二の土地という。)とを交換することにつき、次の如き内容の補足金付交換契約を締結した。

(1)  原告は第二の土地の所有権を被告に移転する。

(2)  被告は第一の土地の所有権を原告に移転し、かつ昭和四三年九月三〇日までに金二五〇万円を原告に支払う。

二、よって原告は被告に対し、右交換契約に基づき本件第一の土地の引渡と所有権移転登記手続並びに金二五〇万円及びこれに対する期限後の昭和四三年一〇月一日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する答弁

第一の土地が被告所有で登記簿上被告の所有名義になっていること、第二の土地が原告の所有であることは認めるが、原告と被告との間に原告主張の補足金付交換契約が締結されたことは否認する。事実は次の如くである。

昭和四二年九月頃訴外矢達と被告との間に本件土地第一と本件第二の土地を場合によっては交換してもよいという話が出た。右の話に基づき、訴外矢達の依頼を受けた住友信託銀行株式会社から同年一一月二一日頃右二つの土地についての鑑定書が被告に送られてきた。昭和四三年三月二一日頃訴外矢達から被告に対し、右鑑定書に基づく両土地の価額の差額である金五〇〇万円の半分の金二五〇万円を被告が補足金として支払えば双方の土地を交換してもよいとの話が出されたが、被告は訴外矢達の希望を聞いただけで自らははっきりした承諾はしなかった。その後被告は昭和四三年三月二二日、訴外矢達に対し、右交換の下話は全部解消されたい旨申し出た。

以上の如く、被告と訴外矢達との間には交換の下話程度のものしかなく、補足金付交換契約の成立はない。

第四被告の抗弁

仮りに本件補足金付交換契約が成立したとしても、被告の同契約締結の意思表示は、次に述べるように、その要素に錯誤があったから、右契約は無効である。すなわち、被告は本件第二の土地を原告から建物所有目的で賃借して借地権を有しているが、住友信託銀行より送付された鑑定書における右土地の鑑定評価が更地としてなされたものであり、借地権の設定されていることを考慮に入れた場合の鑑定評価とは異なるにも拘わらず、両者は同一であり、従って鑑定書の評価額は借地権が設定されていることを考慮に入れた評価額であると誤認して本件契約を承諾したものである。借地権の設定された宅地の評価は更地の十分の二であり、本契約に関する被告の意思表示は目的物の価額に錯誤があったもので要素の錯誤といえる。

第三、抗弁に対する答弁

交換契約の成立した当時まで第二の土地を被告が原告から建物所有目的で賃借していたこと、第一、第二の土地について住友信託銀行が作成した鑑定評価書が被告に送られことは認めるが、その余の事実は否認する。

(1)  被告にはその主張の如き錯誤はない。

(2)  仮りに被告において主張の如き錯誤があったとしても、それは単に動機の錯誤であり、表示されていないので、要素の錯誤とはならない。

第六再抗弁

仮りに被告主張の如き要素の錯誤があったとしても、被告は「使用収益を制約する諸権利の設定のない更地として」と明記してある鑑定書を所持しており、これを見れば更地としての評価鑑定であり、借地権が設定されていることを考慮に入れたものでないことをたやすく理解できるものであり、又これを十分検討する機会があったにも拘わらず、借地権の設定を考慮に入れた評価額と誤認したものとすれば、それは表意者たる被告に重大な過失があったものであり、被告は自らその無効を主張しえない。

第七、再抗弁に対する答弁

否認する。

第八、証拠関係≪省略≫

理由

一、別紙目録第一記載の土地(以下本件第一の土地という)が被告の所有であり、登記簿上被告の所有名義になっていること、同目録第二記載の土地(以下本件第二の土地という)が原告の所有であることは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、昭和四二年九月頃、原告の代理人である訴外矢達慶一と、被告との間に原告所有の本件土地第二と被告所有の本件土地第一とを交換することについての予備交渉があり、その際、交換については、住友信託銀行に両土地の鑑定を依頼することを取り決めたこと、その後同銀行は両土地のさら地価格を鑑定し、その鑑定書は昭和四二年一一月下旬頃原告代理人矢達慶一と被告にそれぞれ送付されたが、同鑑定書によると、本件第一の土地は金七、二七二、五四〇円、同第二の土地は一二、七一五、二〇〇円と評価されていること、昭和四二年暮頃、この鑑定書に基き右矢達と被告とが交換条件につき話合った際、右の鑑定書によれば、被告の方から原告に対し相当の追加金を出さなければならないことになるが、その金がないから、本件第二の土地の近くに被告が所有する土地(湯島天神町二丁目二四坪)と本件第二の土地とを交換してはどうかという提案が被告からなされたこと、しかし、原告側で被告の提案した右湯島の被告所有地を見分したところ、好ましい土地ではなかったので、この話は打切りになり、被告は結局本件第一の土地と第二の土地とを交換することとし、被告が原告に支払うべき追加金は、被告が湯島に所有する右二四坪の土地を売却することにより捻出することに話がきまったこと、ついで昭和四三年三月二〇日過ぎ頃矢達が西宮から上京して、被告方を訪ね、土地交換の件で再度話合ったところ、被告所有の湯島の土地の買手も決ったから、話を本決めにしようということになり、被告が買主から代金を受領するのが昭和四三年九月頃だというので、被告は同年九月三〇日まで追加金二五〇万円を原告に支払うことを付帯条件として被告所有の本件第一の土地と原告所有の本件第二の土地とを交換することを約諾したこと

等の経過が認められる。

すなわち右事実によれば、昭和四三年三月二〇日過頃被告と原告代理人矢達との間に本件第一の土地と第二の土地とを交換し、被告が追加金として金二五〇万円を昭和四三年九月末日までに支払う旨の契約が成立したことが明らかである。

二、そこで、被告の錯誤の抗弁の当否について判断する。

≪証拠省略≫によれば、原告の亡父と被告は同じ町内の会長、副会長をしていた親友の仲であり、矢達慶一は原告の妻の父であり、本件第二の土地はもと原告の実父の所有であったが、終戦当時、本件第二の土地が第三者に不法占拠されることを慮り、矢達が仲に這入って、昭和二一年ごろから被告に建物所有目的で賃貸したが、被告は未だ同地には建物を立てていないことが認められる。しこうして、被告本人尋問の結果によるも、被告は正式に交換契約が成立したことを否認しているだけであって、どのような点について被告が錯誤をしたのかは、必らずしも明らかではない。ただ、≪証拠省略≫を総合して考えると、被告は前記のように交換契約成立の後、おそらく、他人に右交換契約のことを話し、他人から、被告のために借地権の設定されている本件第二の土地は、そのさら地として鑑定されている前示一二、七一五、二〇〇円より相当減額した値段をもって交換の基準として、取引すべきだと言われたため、被告は本件第一の土地(その鑑定価格は、前示のように七、二七二、五四〇円)に二五〇万円を追加して交換することは極めて不利益な取引だという気持になり、前示交換契約成立後間もなく、矢達にあてて右契約を取消す旨の通知を出したものと思われる。(しかし、その取消通知については何ら取消原因が主張立証されていないから、取消の効果を認めることはできない)。そして、本件第二の土地について被告のため建物所有目的で賃借権が設定されていることは前示の通りであるから、局外者からみれば、被告のなした本件契約は計算上確かに被告にとっては不利益のように思われる。しかし、一旦締結された契約が、仮りに一方当事者のために、著しく不利益であったとしても、その故に契約を無効となし得ないことは当然である。ことに本件においては、前認定のように、交換契約は双方とも長期間考慮の末なされたもので、少くとも当事者間においては、当時妥当な取引だと考えた上なされたものと思われる。仮りに、被告に借地権のある土地とさら地とが同じ価額だという誤解があったとしても、その故に契約を無効とすることはできない。なんとなれば、それは講学上いわゆる動機の錯誤であり、そのようなことは、前認定の経過によれば、相手方である原告代理人矢達において知る由もないことであるのみならず、錯誤者たる被告に重大な過失があることにもなるからである。以上は法律論であるが、それよりも、根本的には、一般に、取引は当事者が当事者間に固有な従来の諸々の経緯・相関関係を考慮してその取引内容を決めるものであるから、具体的案件の場合に局外者が単に外形に表われた計算上の打算に基いて一方のため、著しく不利だとか、間違いだとかは言い切れないものがあるのである。本件もまた、おそらく、そのような案件の一つであり、前認定の交渉経過に徴すれば、契約成立時においては、被告も一応前示契約条件に満足して承諾したが、後に気が変ったため、本訴になったのではないかと推察される。

五  むすび

以上説示のとおり、被告の錯誤の抗弁は採用できない。よって原告の請求はいずれも理由があるので認容し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東秀郎)

<以下省略>

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